転換しつつある社会の中で、過去と現在のズレ

身近な人が亡くなったことから、昨晩(2018.4.22)は、お通夜に出席しました。

今年は第二子が生まれるという目出度いこともありましたが、昨年には祖母が亡くなっており、どちらかというさみしい話の方が身近に多くなりつつあるということをヒシヒシと感じています。

先日より、簿記・会計におけるお金と時間のズレや

会計と税務におけるズレなどに関して記事にしていますが、

私自身が分譲マンションという不動産を専門としていることから、今日は、社会とのズレに関して書きたいと思います。

 

正確な定義かどうかは不明だけれど、日本は明らかに「超高齢社会」

一般に「高齢化社会」とはいいますが、なかなか普段の会話で正しい定義をもってきて「超高齢社会」ということは少ないと思います。

Wikipediaでは正確な出典は不明となっていましたが、横浜市の統計ポータルサイトの用語解説では国連とWHOの定義にもとづくとして、全人口に65才以上が占める割合が7%超を「高齢化社会」、14%超を「高齢社会」、21%超を「超高齢社会」としています。

日本においては、1970年時点で「高齢化社会」に達していました。

そして、総務省統計局の推計によると、平成29年(2017年)10月1日現在で27.7%にも達しています。

定義はありませんが、もし仮に7の倍数で次の段階を作るとしたら、2020年には到達するといわれている28%になれば、さしずめ「超々高齢社会」ということになるのでしょうか?

 

すでに起こったこと

経営学の世界ではたびたび引用されるピーター・ドラッカーですが、人口動態などに関しては「すでに起こったこと」と書いています。

このような状況を打開しようと様々な施策が行われていますが、出生率が大幅に変化することはありません。

戦争やペストの流行のような事態が起こらない限りには、過去に生まれた数は変動しないわけですから、いまさら振り返るまでもなく、こうなることは「わかっていたはず」といわれているわけです。

 

社会にも擬似的「慣性の法則」が働く

過去に行われた施策で変わらないものが多々あります。

年金問題もそうですが、既得権益などと呼ばれるものもそうです。

一旦、政策が決定され実行されると、よほどのことがない限り見直されることがありません。

当然、永久に続くというわけではありませんが、それでも変化を起こすにパワーが必要です。

それだけのパワーが用意できなければ、結果として継続という選択肢が消極的に選ばれます。

過去の成功体験に基づいて行われてきたことに関しては、よほどのことがない限りそのまま踏襲されるのです。

 

社会と現在のズレに着目すると行動が必要

私は社会が変わらないことを批判したいわけではありません。

感情的にはとても理解できるからです。

自分自身を変化させることですら、とても苦しいし、難しいのです。

ましや、周囲を巻き込み社会を変化させるとなれば、どれほどの苦労かは計り知れません。

ただ、社会と現在の自分にズレがあるということは、そこには少なくないギャップがあり、それをよしとはできないこともあるはずです。

すると、社会の流れのままではそのギャップを埋められないわけですから、人とは違った行動が必要になると考えています。

 

ただ違う行動をすればいいわけではない

もちろん、単純に違う行動をすればいいわけではありません。

ただ、社会と自分自身にズレがあるように、他の人々にも違ったズレがあるはずです。

そのズレから生じるギャップは、ニーズも生み出していると考えています。

苦しんでいるのは自分だけではなく、多くの人が同じはずです。

とすれば、その課題を解決することに対するニーズもあると考え、そこにはチャンスもあると考えています。

 

まとめ

「人生100年時代」などといった言葉も飛び交う昨今、「亡くなってしまったらどうするのか?」という論点もないわけではありませんが、どちらかというと、むしろ「長生きしてしまったときにどうするのか?」という問題の方がクローズアップされてきているように感じています。

この時、分譲マンションにおける住まうという問題においても、投資不動産における収益不動産に関する問題も、同根の問題として相続対策よりも生存対策としての重要性が増してきていると考えます。

これは、定年退職後の収入の問題と言い換えてもいいかもしれません。

その時に起こると考えられる様々なことに対処できるよう不動産を通じた専門家としてのスキルを磨いています。