人格のない社団等に対する課税の歴史的経緯
昨日(2016.10.15)は、本当に大きな枠組みとして、「税金とは何か?」というところに着目して少し記事にしてみました。
確かにこの部分は根源的な問題として大切ではあるのですが、観念的な部分などもあり、ふわふわとした議論となりやすいことから、今日はもう少し具体的な話として、マンション管理組合が該当するとされている人格ない社団等に対する課税に関する経緯について、記事にしてみたいと思います。
法人に対する課税の沿革
まず法人税の沿革から説明すると、法人の所得に対する課税は、明治32年に所得税法において第1種所得税として、法人の所得に対して2.5%の課税をしたのが最初といわれています。
しかし、 当時は、法人を独立した納税主体と認めて課税するというよりも、現在ある個人への配当に対する源泉所得課税がなかったことから、これに相当する趣旨で課税されていたようです。
その後、第一次世界大戦があり、経済の発展にともなって、所得税の税率の引上げが相次いで行われた結果、配当や役員賞与の所得を有する者とその他の所得との間の税負担の不均衡が目立ち、いわゆる個人企業 の「法人成り」が増加しました。
そこで、大正9年の改正で、法人を独立した課税主体とし、法人には、法人としての課税を行い、法人の支払った配当金に対しては、さらに個人の所得に総合して課税されることになりました。
この基本的な枠組みが、現在も引き継がれています。
人格のない社団等に対する課税
以前も記事にした通り、「人格のない社団等」という納税義務者の定義は、民法の規定ではなく、税法独自の規定です。
国税通則法という、国税に関する一般法の他、実体法である法人税においても人格のない社団等を法人とみなして課税する旨の規定があります。
ただし、この規定、法人税法が成立した時点からあったわけではありません。
昭和32年に法人税法が改正されるまでは、この規定はありませんでした。
この他、この人格のない社団等に対する課税に関しては、まず、昭和23年の取引高税法という今はない税法において登場しました。
ここでは、「法人でない団体」という見出しの下に、「法人でない社団又は財団で代表者又は管理人の定めのあるものについては、この法律中法人に関する規定を適用する」と規定され、法人として取り扱われました。
また、昭和25年の相続税法の全文改正に際し、人格のない社団又は財団を個人とみなして相続税を課する旨の規定が設けられました。
この改正は、「人格のない社団又は財団が法人格もなく、また個人性のない中間的存在であり、これがため遺贈などによる財産の取得に対しても、何らの課税もされないことは、税負担の公平性の見地から適当でないので、代表者又は管理者の定めるのある程度に独立性があれば、これを個人とみなして課税しようとする」趣旨でなされています。
これら改正のきっかけ
これだけではないと思いますが、この改正のきっかけの一つになったといわれているのが「労音訴訟」と呼ばれる事件です。
上述の立法により明文化されるまでは、人格のない社団等に対する法律の規定はありませんでした。
また、その後も間接税に関しては、個人であっても法人であっても、その取扱いに特段の差はないと考えられていたことから、明文化する改正が行われていませんでした。
そのため、人格のない社団等が納税義務者であるかどうかについて、租税法律主義(憲法30条)の観点から、当時、数多くの訴訟が起こりました。
この労音訴訟においては、その音楽協議会等と呼ばれる団体が、憲法30条における納税義務者に該当するかどうかが争われたのですが、裁判所は、憲法30条の納税義務は個人や法人に限定した趣旨のものではないことを理由に、人格のない社団等に対する納税義務を認め、納税者(労音)は敗訴しています。
まとめ
逆にいえば、各法律の改正前までは人格のない社団等は、個人でも法人でもないことから、税法の抜け穴になっていました。
そのため、その抜け穴をふさぐ形で改正されています。
結論、歴史的経緯から見て、人格のない社団等が納税義務者であることは間違いないようです。
そして、私もそう考えます。
なぜなら、同じような事業を行っていた場合に、一方(法人)は課税され、一方(人格ない社団等)が課税されないのでは、これは不公平と考えるからです。
ここで終われれば、簡単なのですが、人格のない社団等に対する課税に関しては、この他にもいろいろ論点があります。
次回は、また別の角度から記事を書いてみたいと思っています。