訃報が届いて思うこと
先日、入会している(一社)神奈川県マンション管理士会より訃報が届きました。
亡くなられた方は、入会説明会で私に管理士会のことを説明してくださった方です。
本当にざっくばらんに率直なお話をしてくださった方だったので、管理士会の先輩として色々教えて頂きたかったことから、1度しか話せなかったことを本当に残念に思います。
人生はいつ終わるのか全くわからない
訃報に接するたびに過去の経験が思い出されます。
大手の管理会社で、かつ、管理員・清掃員を直接雇用している会社に勤務すると、高齢者を相当数雇用しているわけですから、訃報に接することが多くなります。
特に、私が業界に入って最初に勤務した会社は、業界でも最大手に近い会社で、しかも、当時はフロント担当者ではなく、営繕工事担当であったことから、点検・検査・工事などで多数のマンションに出入りしていたこともあり、毎年のように見知った方の訃報に接することになりました。
そして、その度に思うことは、人生はいつ終わるのか全くわからないということです。
マンション管理業界に転職するきっかけとなった会社の先輩が亡くなったときも、そのように感じていました。
今日何をするのか?
いつ終わるのかわからないのであれば、頑張っても仕方ないのかもしれません。
志半ばで終わることは多々あります。
しかし、いつ終わるか分からないなりに、今日できることは何かを真剣に考えるようになりました。
ただ、そのように考えるようになったからと言って、いきなり全てに対して真面目に取り組めるようになるわけではありません。
そもそも、今でも立派な方々を前にすれば、大したことはありません。
むしろ、昨日も時間があるにもかかわらず、祝日だったことから結構休んでいました(苦笑)
それでも、目的を持って日々取り組むことによって、少なくともマンション管理士試験は第1回試験で合格できましたし、今取り組んでいる税理士登録も、簿記3級しかなかった当初に比べれば、かなり実現性の高いところまで来れたと思っています。
そなえよつねに
私が中学生頃にやっていたボーイスカウトのモットー(標語)です。
教えられていても実践できているとは言い難いものですし、この言葉をどのように受け止めるかも考え方が色々あるような気がしていますが、「管理」という仕事をする中で、常に意識してきました。
いうまでないことですが、全てに対して準備することはできません。
したがって、スカウトにおいては心身を整え、技を磨いて準備することを意味していたように思います(もう30年ぐらいまでのことなのでうろ覚えですが:笑)
社会生活においては、「できる範囲で」との限定をつけて悲観的に準備するように心掛けています。
そして、その準備も心身を乱してまで行うべきことではないと考えています。
それは、心身を整えること自体も、有事への備えだからです。
まとめ
自分に甘くなりがちですが、身近な人の訃報に接すると、実感として「いつ終わるかわからない」という事実を思い出します。
その度に少しずつではありますが、自分を磨き、できることを少しでも増やして、何かを前進させてこられたように感じています。