A Written Oath

湘南藤沢の開業税理士・マンション管理士・社会人大学生のブログです

A Written Oath
日常

いろんなバトンを受け取ってきた気がします

一昨日に続き、昨日(2018.4.24)は、身近な人が亡くなったことから、その葬儀に出席しました。

転換しつつある社会の中で、過去と現在のズレ

振り返ると、社会に出てからは、身近な方が亡くなるたびに自らの人生を省みることができたように思います。

 

もっとも大きな転機は最初の転職のとき

自己紹介用に書きました自分史にもある通り、もっとも大きな転機が訪れたのは、社会に出て最初に勤めた会社の先輩が亡くなったときでした。

自分史

特にご病気だったりとかいうわけではなく、金曜日に会社で別れた後、週末のテニス指導中に突然の心臓麻痺で亡くなられたのです。

本当に衝撃でした。

練習中に休憩すると言ってベンチに座られたあと、たち上がってこないため、呼びかけても返事がなく、不審に思った練習相手の方がしばらく経ってから呼吸していないことに気づき、救急車を呼んだという事情をあとから伺いました。

私を始め週明けに連絡を受けた周囲は、当初は何が起こったのか、まったく認識できていませんでした。

「人生いつ何が起こるかわからない」などとは言いますが、それを真剣に感じ、考えさせられたことだけは間違いありません。

これだけが理由ではありませんが、私の中では、これがもっとも大きなきっかけとなって、その後にメーカーでの営業職から分譲マンション管理業界へと転職しています。

 

分譲マンション管理業界においても

業界大手の管理会社に勤務しました。

特別な業界な方と比べてしまうとそうでもないのかもしれませんが、そこでも身近な方が亡くなることによって自らを省みることが数多くありました。

いまではかなり業界のシステムが変わってしまったので、私と同じような体験をしている方は少数かもしれませんが、当時勤務していた会社は管理員を直接雇用していました。

中小の管理会社では、いまでも直接雇用しているかもしれませんが、昨今、最大手の管理会社の多くは、グループ会社だったりはするものの管理員や清掃員をほぼアウトソーシングしてしまっています。

しかし、私が業界に入った20年ぐらい前は、まだまだ直接雇用が多く、いまではほぼ無くなりつつある住込み管理員の方などと一緒に同じ正社員として働いていました。

そのため、その方々の通夜・葬儀にも参列することがそれなりにあったのです。

 

様々なことを教えてもらいました

業界でいうフロント担当者は、当時は一人で20管理組合前後担当してしましたが、私は営繕工事担当者であったことから、一人でその5倍以上は管轄していました。

といっても、その全てで常時工事が動いているわけではありません。

それでも、少額工事案件があれば見積りのために現地調査に行きますし、総会に予算計上するための予算点検や新築時のアフターサービス点検の立会い、共用部分検査、工事完了確認など、何かとマンションに出かけていました。

すると、その場にいる管理員さんや清掃員さんたちと連絡も取り合いますいし、仲良くもなります。

まだ20代だった私はよく可愛がってもらいました。

それに伴って管理員さんたちが何に困っているのかも少しずつわかるようになりました。

そうはいっても、何でもかんでも教えてくれていたわけではありません。

ただ、そうであったとしても管理員さんや清掃員さんたちは正社員たちが出勤してくる前の早朝に時間からゴミ処理や清掃のために現場に出ているにも関わらず、その時間は出勤している社員が少なく電話が繋がらないことに不満を持っていること知り、できるだけ早めに出勤するようにしたことなど、その交流を通じて現場で起こっていることが色々わかるようになったことだけは確かです。

管理員さんも清掃員さんたちも、限られた勤務時間内で対応する必要があることから連絡してもなかなか繋がらないような人にわざわざ連絡を取ったりはしません。

結果として、繋がる人に連絡がかかるようになります。

そのため、いろいろな連絡や相談をいただきました。

それが結果として勉強になったり、工事担当者としては売り上げに繋がったりと、さまざまなことに繋がっていきました。

 

それぞれの人生とそれぞれの想いがある

その方々の多くは、人生の晩年を管理員や清掃員として過ごしています。

そのため、その皆さんとの別れも必然的に多くなり、結構な頻度で喪服が必要になりました。

連絡もなく事後に人伝に聞くということもありましたが、それになり繋がりがあった方に関しては、連絡をもらうことができ、通夜・葬儀に参列しています。

仕事で関わっていた時から、人生という意味でいろいろな形で教わっていました。

さらに、亡くなった時にも、その方との思い出を振り返りながら、間接的に教わっていたように感じています。

一口に管理員・清掃員と括っていますが、その方々にも様々な過去のキャリアや経験があったこと、そしてその仕事ぶりから間接的にそのことを知ることができていたと考えています。

その方々の晩年に触れたことによって、それぞれの時代を反映したものではありつつも人生におけるルート選択にはさまざまな選択肢があることを間接的に知ることができました。

そして、直接的に何かを託されたわけではありませんが、その交流の結果として、私は様々なことを教えられ、預けられたと感じています。

 

まとめ

もう受け取った相手はいらっしゃいませんので、受け取ったバトンを「次にどのように伝えるのか」が課題です。