A Written Oath

湘南藤沢の開業税理士・マンション管理士・社会人大学生のブログです

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マンション管理受験体験・ノウハウ

疑問を解決するために探し続けています(ビジネスとしての分譲マンション)

私の管理会社転職歴に関するこのブログ記事シリーズは、これで3つ目になります。

以前にも記事にした通り、入り口は父親の規模の小さな大家業に関して、不動産屋のいいようにされていると感じた疑問がきっかけでした。

そして、その疑問を解決するために、分譲マンション管理会社に修繕という切り口から就職しました。

疑問を解決するために行動してきました(修繕から管理へ)

次に、分譲マンション管理を知り、またマンション管理適正化法が制定されたことなどから、分譲マンション管理業への疑問を持つようになり、その流れから新築分譲マンション開発に興味を持ちました。

疑問を解決するために行動してきました(管理から開発へ)

この後、一時期実家に戻って所有アパートの大規模修繕をしてみたり、派遣営業でプロパティマネージャーを短期間やってみたり、昔の上司のツテを頼って新築分譲マンションのアフターサービス立会い業務をやってみたりしたのですが、再び分譲マンション管理業務に戻ったのは、ビジネスとしての投資型ワンルームマンションに興味を持ったことにあります。

 

投資型ワンルームマンションは投資として成り立っているのか?

投資としての側面から、ここがとても疑問でした。

修繕工事の担当者をしていた頃から、通常の実需マンションではなく、この形態のマンションがあることは知っていました。

また、経済性を優先とはしない実需(実際に住む)のマンションや別荘としてのリゾートマンションは、投資という面から採算が考慮されていないことは理解できます。

しかし、単体事業の投資として収支が合うとは、とても思えない投資用の分譲マンションの存在が、全く理解ができませんでした(別に私が理解できようができまいが、存在するのですけれど:笑)

当時、税制のことはまったく理解できていませんでしたので、その存在はバルブ経済の産物程度に考えていました。

ただ、バブル崩壊後、2000年代となっても、まだ売れているという事実を知り、なぜ売れるのかが本当に疑問でした。

いつまでも疑問に思っていても仕方ないので、チャンスをつかんだことから、投資型ワンルームマンションを管理主体とするマンション管理会社に転職してみました。

そして、この転職で実家のある関西から東京へと引っ越しました。

結局、当たり前の話ですが、一定の例外を除き、投資型ワンルームマンション単体での収支は、長期的な視点から見れば成り立っていないことが、改めてはっきりとわかりました。

わざわざ転職をするまでもなく、当たり前のことがわかっただけですが、この転職は私にとって無駄ではありませんでした。

実は、かなり有用だったと感じています。

マンション管理に関して、いくつか貴重な体験ができた上に、不動産投資に関する知識にも触れることができたため、この体験が、税理士を目指すことになったきっかけの一つとして、現在の状況に間接的に繋がっていると感じているからです。

 

不動産開発会社のポジション

次は地方デベロッパーのマンション管理部門に移りました。

この会社では、自社分譲したマンションを、よくある丸投げアウトソースせず社内に専門の部署を作って管理をしていました。

また、この求人は管理職採用だったことから、開発会社と管理職という2つの異なるポジションを体験できると考え、転職しました。

そして、この転職を通じて、ビジネスとして分譲マンション管理会社がどのような収支で成り立っているのかを学ぼうと狙っていました。

一社員のボジションからでは、経営的な視点から分譲マンション管理会社という業態を分析することはできませんでした。

経営資料も入手できませんし、末端社員では、どのような制約がその業務を形作っているのかをうかがい知ることはできません。

ただ、この転職は、規模の小さい会社だったこともあり、本当に大変でした。

しかし、大変であるということは、反面、実務上は多くのことを学ぶチャンスがあります。

詳細は、ここでは割愛しますが、マンション管理業を行う一部門すべてを把握することができるポジションにつけたことは、他には代えがたい体験でした。

 

小括

この時期は、実務上の分譲マンション管理のマニアックな知識よりも、ビジネスとしての分譲マンションに疑問を持っていました。

金さえ稼げればなんでもいいなんて全く思っていませんが、いくら理想を掲げても、お金がなければ、長くは続かないからです。

ビジネスだけではなく、生活においても事業継続性は重要です。

この意味において、分譲マンションにはどのような可能性があるのかを模索していました。

そして、この部分は、現在においても模索を続けています。