社会人大学院ではリズム感の違いに難しさを感じます
昨日(2017.4.13)は、午前勤務している税理士法人におやすみをいただいて、体調を整え、バランスをとりなおしたことを記事にしました。
正直、試行錯誤がうまく行っていないところは残念に思っていますが、過ぎてしまえば、そんなに気にしていません。
なぜなら、やったことがないことをやっているのですから、うまく行かないことの方が多い前提だからです。
だからといって、上手くいかなくて当然と思っているわけでもなく、都合よく上手くいって欲しいと欲が出てしまうため、ここに気持ちと現実とにギャップが生まれます(要するに悔しい:苦笑)
理想と現実にギャップはある前提
チャレンジと思って挑戦しているわけですから、現実の自分と理想との差を埋めるための行為です。
ここには差があって当然で、むしろ、それがあるからこそのチャレンジです。
社会人大学院にチャンレジしたこと自体は、とてもよかったと思っています。
これは自らの得意分野を確認でき、加えて、どこに注力すべきかを再認識させてくれると感じているからです。
そもそも社会人大学院にきたからといって、いままでできなかったことが突然できるようになるとまでは考えていません。
知識は多少増えますが、そこはあまり重要ではなく、今持っているものをどのように活かせるかを探るところにポイントがあると考えています。
ただ、リズムの違いに難しさを感じています
以前のチャレンジであった税理士試験は、1年に1度しかチャレンジできない国家試験でした。
そのため、その目標達成へのリズム感は、修行僧のような地味な作業のオンパレードでした。
徹底した反復練習をしつつ、自らのポジションをできるだけ客観化し、合格するために必要な能力を1年かけて身につけます。
税理士試験は、年1回しかチャレンジできない博打的要素はありますが、大きな波はありませんし、時間さえ確保できれば計画的に勉強できるところに、やりやすさもありました。
ところが、社会人大学院ではアドリブの要素がけっこうあります。
計画して準備できない部分もあり、さらにはジャストインタイムでの成果も求められることから、計画的に対応できる税理士試験とのリズム感の違いに難しさを感じています。
試験は予定できるが現実の全てを予定することはできない
これも当たり前の話ですが、現実の全てを予定して対応することはできません。
相手があることですから、臨機応変さが必要になります。
その意味で、私が通っている名古屋商科大学大学院では、この計画性と臨機応変さの双方の能力が求められていると感じています。
そして、この能力は社会で生きていく上で、必須に近い能力ではないでしょうか?
だからこそ、ここを鍛えてくれるこの大学院は、ビジネススクールとしてあるべき対応をしてくれていると思っています。
特にジャストインタイムで相手に合わせて、必要な場面で、必要なものを提供できる能力を鍛えられるところには、有り難さを感じるほどです(だからといって、喜んだりするような感性は持ち合わせていませんよ:笑)
なんでも鍛えて応えられるようになることを目指してはいません
私が、こうやって頑張っているのは、自らの能力やポジションを把握し、自らに適した方法を模索するためです。
避けて通れないような部分において赤点をとるような能力があってはいけませんが、及第点の能力がありさえすれば、自分の得意分野を深掘りして強くすることの方が、結果として他者との差別化に有用だと考えています。
そのため、むしろ「やらないこと」を探ることが目的です。
低いところを放置して良いとまでは考えていませんので、継続して高めるべきとは思いますが、競争社会で差別化し、勝ち抜いていくためには、むしろ「やらないこと」で、得意分野に注力できるチョイスを持つことが差別化になると考えるからです。
まとめ
そうは思いつつも、選択と集中にはリスクがあります。
実社会にでれば、常にその恐怖感と戦いながら、選択していくことになります。
社会人大学院は、そこを試行錯誤できるチャンスであることから、単位を取ることよりも、そこをしっかりと学びたいと思っています。